お小遣い稼ぎならポイントサイトGetMoney!

地図の歴史 2

ヨーロッパの地図学的な進歩は中世まで眠ったままとなった。この間の時代は哲学的思想が宗教のほうに向いていたからである。ロジャー・ベーコンによる投影法の調査が行われたり、ヨーロッパの通商路を行き来するためのポルトラーノ(海図)が作られたりするなど、この分野はいくつかの点で進んだものの、地図学の組織的研究や応用への刺激にはほとんどならなかった。

この時代の世界の「地図」のほとんどは、キリスト教の宇宙観を示した図であって、厳密な地理的表現をもくろんだものではなかった。文字通り長方形と円で作られた、いわゆる「T-O地図」の様式に従っていた。この様式は地球が海に囲まれた円盤状の大地からなっていることを表現している。

大規模な地図製作も同様に抽象的な図示のほうに向いていた。というのも地籍の必要性が、一般的には測定値によるよりむしろ目標の説明によって満たされていたからである。対照的に、この時代の中国では、厳密でないとはいえ実際の測量に基づいた、長方形の座標系が使われていた。

中国での宇宙観が自分たちの経験の外にある土地を説明する教義を与えなかったため、中国では世界地図は生産されなかった。残された文書から、中国の哲学者は地球が平らであると考えていたことが示唆される。ラクタンティウスなどの少数意見の2、3の神学者を除き、キリスト教とイスラム教の哲学者は球面の地球というギリシアの概念を固守していた。

ヨーロッパ人によるアメリカの発見と、それに続く統治と分割の努力のために、科学的な地図製作法が必要となった。大航海時代に始まった世界化の潮流はルネサンスまで続いた。これは、結局、科学的な正確さに対する懸念を啓蒙時代に引き継ぎ、世界を分類したいという欲求が地図製作をさらに科学的に発展させることになった。

大航海時代が進展しつつあった16世紀には地理学者メルカトルがメルカトル図法を考案し、航海用の地図の重要な図法として地図製作の歴史に大きな功績を残した。

地図製作はリアルとバーチャルの架け橋となる夢のデータベース